ヤングケアラー時代に学校行けないと児相に相談した時のこと
職員「介護って何してるの?」
自分「ご飯作ったり、後は掃除とか(祖母が)暴れた後片付けとか」職員「お祖母さんのトイレとお風呂は?あなたが世話してるの?」
自分「違います」職員「それは介護とかお世話って言わないよ」
— 村田@元被虐児童 (@DYdZZP59VT2LSgG) May 23, 2024
職員「介護って言うのは、お風呂に入れたりトイレも付きっきりでさせてあげたりそういうのを言うんだよ。あなたがやってるのはただご飯作って掃除してるだけでしょ。皆やってるよそれくらい。君だけだよ?学校行かない言い訳にしてるの」
— 村田@元被虐児童 (@DYdZZP59VT2LSgG) May 23, 2024
自分「でも朝も昼も夜も作って、出来立てじゃないとダメって言われて、作っても捨てられてまた作ったり、1日に何度も暴れて後片付けしなくちゃいけなくて。言い訳じゃなくて本当に学校行けないんです」
職員「やらされてるって思うから遅いんだよ。任せてもらってるって感謝してやればいい」
— 村田@元被虐児童 (@DYdZZP59VT2LSgG) May 23, 2024
結局児相は一切動かなかった。
この当時(2004年)、ヤングケアラーという言葉はまだ無かったけれど、自分のような子どもは他にもいた。
全国的に見れば相当な数の相談が児相に寄せられていたはず。
ヤングケアラー問題が長年全く世間に知られなかったのは、児相が報告してこなかったことが大きい。— 村田@元被虐児童 (@DYdZZP59VT2LSgG) May 23, 2024
自分の場合、この半年後に祖母が他所に移ったことで小学校には通えるようになった。
もしずっと祖母が家にいたら小学校卒業までは通えなかったと思う。
下手したら中学も行けなかったかも知れない。— 村田@元被虐児童 (@DYdZZP59VT2LSgG) May 23, 2024
自分が通っていた小中学校では不登校はそれほど珍しくなかった。
1日も来ず卒業扱いになった同級生も何人かいた。
自分もそうなっていれば、高校もまともな学校へは行けなかった。
参考書も買ってもらえず、勉強する時間も無いまま、独学で後れを取り戻すのはほぼ不可能。— 村田@元被虐児童 (@DYdZZP59VT2LSgG) May 23, 2024
でも自分の例と法制度や体制を考えると、実際にそうなっている子は確実にいる。
義務教育受けさせなくても親が罰せられることは滅多にないし、ヤングケアラーを直接救う公的支援制度も無い。— 村田@元被虐児童 (@DYdZZP59VT2LSgG) May 23, 2024
なので民法を改正して、子どもに
・公的支援を申請する権利
・本人の意思で家から出る権利
・親を訴える権利
・労働させた分の賃金を親に請求できる権利
などを与えないとこの問題は解決できない。それと義務教育受けさせない親には、子どもに対する賠償責任を負わせるべき。
— 村田@元被虐児童 (@DYdZZP59VT2LSgG) May 23, 2024
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Source: オタクニュース