【棚橋弘至引退後の新日本プロレスの未来と挑戦】WWEは3兆円企業、新日本は53億円…社長が語る「新日本プロレスがゲート依存から脱却をめざす」理由

新日本プロレスは、棚橋弘至選手の引退を機に、自らのビジネスモデルを再考する重要な時期に来ています。WWEが目指す規模感と比べると、新日本の53億円はまだまだ小さいですが、社長の言葉にあるように、ゲート依存からの脱却は新たな革新への第一歩です。ファンとの接点を多様化し、より強固なブランドを築くことが求められるでしょう。

新日本プロレス「100年に一人の逸材」と呼ばれる棚橋弘至が2026年1月4日、『WRESTLE KINGDOM 20 in 東京ドーム 棚橋弘至引退』でついに引退する。現役引退後も社長として団体の経営に向き合っていく棚橋が、今後の団体経営に課された課題とは。

【画像】歯抜けの棚橋と制作した「TA歯NASHI」Tシャツ

書籍『棚橋弘至、社長になる プレジデントエースが描く新日本プロレスの未来』より一部抜粋・再構成してお届けする。

新日本プロレスの収入源
決算書を見ながら、新日本プロレスの収支に僕は改めて向き合っている。

アメリカの世界最大規模のプロレス団体であるWWEは、2023年にUFCと経営統合して企業価値は総額214億ドル……日本円にすると約3兆円を超える規模となっている。その売上高は2023年には17億ドルに達し、前年比47%増。

その内訳を見るとゲート収入は全収入の半分以下に過ぎない。会場にお越しいただくお客様のチケット代による収益を、僕たちはゲート収入と呼んでいるが、WWEにおいてはそれ以外のグッズ収入や映像収入が本当に大きいのだ。

一方、新日本プロレスの2023年度の売上は約53億円で、その大半をゲート収入が担っている。もちろんゲート収入自体はコロナ禍前の65%のレベルに留まっているから、まだまだ伸びる余地はあると思う。

でも僕はそれ以外の部分にもっと注力して、この比率を変えていかないといけない。

年間に開催できる興行の数はいくら頑張っても限界があり、これを増やしすぎて過密日程となると怪我の問題などが出てきやすくなってしまう。だからこそ収入全体における柱を、ゲート収入だけでなく複数立てていきたい。

その柱になりうるのが映像配信サービス「NJPW WORLD」であり、アパレルであると考えている。

「NJPW WORLD」は2023年11月にリニューアルを行い、公式アプリを作成した。これから進めていきたいのは、海外の加入者でありファン層を増やすことだ。

もともとアメリカでの映像販売に関しては、ここ10年くらいさまざまな施策を取ってきている。例えばAXS TV Fightsなどに映像を販売してきたし、NJPW WORLD自体も、海外の方が加入者全体の約3〜4割ほどになってきた。

コロナ禍の時は大会数が減ってしまった関係で一時的に会員数は減少したけど、今は以前以上にアメリカでの興行も増えてきたことで、改めて新日本プロレスに注目が集まり始めた。

やはりその国をマーケットとして見てくれているかどうかをアメリカの人は明確に感じているように思う。この現象は日本国でも同様で、都市部でしか興行をしていなければ地方のファンの方々は新日本プロレスに対してやはり身近に感じにくくなり、離れていってしまうようだ。

もちろんそれ以外の要素、例えば海外の大物選手……クリス・ジェリコなどが参戦すると海外の会員数はグッと伸びてくる。だからアメリカ市場においてはさまざまな手を打っていく必要がある。

そしてもちろん、目指すべき海外はアメリカだけではない。欧州やアジア圏に対しても、これからの新日本プロレスは積極的に攻める方向に舵を切っている。

その上で鍵となってくるのは、英語実況であり海外への発信能力だ。たとえどんなに良い試合を行っても、見てもらえなければ、そして伝わらなければ意味がない。だから海外に向けた体制強化をこれからはより一層努めていくつもりだ。

アパレルの拡充
そして、僕がもう一つの力点と捉えているのがアパレルだ。

普段使いできるプロレスTシャツを作ることは、僕が大学生の頃からの夢の一つだった。

もっとも、街中で普通にプロレスTシャツを見ることができた時代も一度はあった。1990年代後半に一大ムーブメントとなった『nWo』だ。

1996年にWCWでハルク・ホーガン、スコット・ホール、ケビン・ナッシュにより結成されたnWoだが、日本では蝶野正洋さんが「日本支部」的な軍団としてnWoジャパンを設立し、日本でも爆発的ブームとなった。

1997年度には約43億円の経済効果があり、同年度には『nWoTシャツ』だけで6億円の売上が記録されている(もっともnWoの権利はWCWが持っており、新日本プロレスの収益にはあまりならなかったことは残念だったけど)。

僕はnWoブームの時のように、街中でプロレスTシャツを普通に見かける時代を再び目指したいのだ。プロレスファンはマイノリティの習性もあって、実際に僕もそうだったけど、街を歩いていてプロレスTシャツを見かけるとうれしかったりする。

現在、僕が街で一番見かけるのは内藤をはじめとするL・I・JのTシャツだ。

自分のもの以外のプロレスTシャツを見かけても、「この野郎」とは思わない。むしろ「ああ、プロレスを好きでいてくれているんだ、ありがとう」というのが正直な思いだ。

そんなわけで、僕はこれから新日本プロレスのアパレルを一層拡充していきたいのだ。

最近は闘魂SHOPでも、コロナ禍を機に、選手と一緒にYouTubeでサインやブロマイドを付けながら商品を紹介する機会なども増えてきた。これはもともとコロナ禍の影響で闘魂SHOPの店舗に訪れることができなかったり、プロレス会場でのグッズ販売が難しかったりという苦い経験から生まれたアイデアでもある。

僕は岐阜出身で、大会が地元に来たら会場でグッズ販売があるけど、その機会は年に1、2回しかなく、なかなか購入できないという環境を身をもって知っている。だから、なかなか東京の闘魂SHOPに行けないファンの方に喜んでもらえているのではないかと思う。

かつてのプロレス関係のアパレルはちょっと外では着づらいようなものも少なくなかった。だけど最近の新日本プロレスのアパレルは、以前よりも着やすいものが増えてきたと言ってもらえることが多い。

昔はプロレス会場に着ていくことはできるけど、なかなか自分の私服には落とし込めないものが多かった中で、一世を風靡したnWoは何と言っても着やすかった。普段のファッションに取り込める工夫をすることが、新日本のアパレルを気軽に手に取っていただくためには必要だと実感する。

例えばライオンマーク一つとっても、昔ながらのかっこよいデザインではあるけど、少しばかりクセがあることも事実だ。だからこそ、それをどう活かし、ファッションに落とし込むかを考えた上で展開していきたい。

「選手が着てないTシャツが売れるわけないだろ」
選手ごとのグッズやアパレルに関しては、選手自身が要望やアイデアを出すケースもあれば、会社お任せの人もいる。僕なんかはデザインやカラーを全部自分で考えて、物販の方のアイデアなども取り入れながら、自分が着たいTシャツを作り、そして着るようにしている。

これには武藤さんに「選手が着てないTシャツが売れるわけないだろ」と言われたことの影響もあるかもしれない。武藤さんはメディアなどに出る時、絶対に自分のTシャツを着ている。ファンの方も、やはり選手が着ているのと同じものが着たいはずだという考えもあるだろう。

いろいろ書いてきたが、それ以前の話として、新日本プロレスに所属している選手のファッションセンス自体が、最近はすごく良くなったと僕は感じている。その結果、グッズやアパレルの幅が広がった部分もあり、昔に比べて売上も上がってきた。だからこそぜひ新日本プロレスに入門した選手には、早く自分のTシャツを出せるまで頑張ってほしいと思う。

もちろんユニットやチームのTシャツはあるけど、やっぱり個人のTシャツを出せるというのはヤングライオンを卒業した証の一つだ。他のスポーツでも1軍に上がったら個人グッズが出たりするのと同じかもしれない。

ただグッズに関しては、会場人気と実力に比例して売上が伸びるわけではないのが難しいところだ。リング外の人気が必要だからだ。例えばスター選手でも内藤はめちゃくちゃグッズが売れるけど、オカダはリング上の人気に比べると、あまりグッズが伸びなかった。

僕自身も、かつて闘魂三銃士が大好きだった頃、武藤さんと蝶野さんのTシャツは買ったけど、なぜか橋本真也さんのTシャツは買わなかった。もしかすると、「破壊王」とバーンと大きく書かれた橋本さんのグッズは、クセの強さに手が伸びなかったのかもしれない。

このように、会場では圧倒的な歓声と人気を集めても、それとは異なる動きをするアパレルの売上に関しては不思議な感じもする。そのあたりの研究も含めて力を入れていきたい部分だ。

最近だとファミリーマートさんがコンビニウェアの展開に力を入れていることが知られているけど、靴下だけじゃなくアウターなども展開されていて、先日はファッションショーも行われていた。

僕は昔から服が好きなので、いずれはプロレスアパレルのファッションショーをやることが夢だ。

棚橋弘至(たなはしひろし)

1976年11月13日 岐阜県大垣市生まれ。新日本プロレスリング株式会社第11代代表取締役社長キャッチコピーは“100年に一人の逸材”“エース”。立命館大学法学部在学時にレスリングを始め、卒業後の1999年に新日本プロレスへ入門、同年10月に真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。2003年に初代U―30無差別級王者となり、自身としての初のタイトル戴冠。2006年には、当時の団体最高峰王座となるIWGPヘビー級王座を初戴冠。以降、同王座を8度戴冠し、これは歴代最多戴冠記録となっており、2011年~2012年の第56代王者時代には、当時の連続最多防衛記録となるV11を達成。また、真夏の最強戦士決定戦『G1 CLIMAX』は3度の優勝、東スポプロレス大賞MVPは4度受賞しており、新日本プロレスの“エース”として活躍を続ける。2023年12月には、新日本プロレスリング株式会社の第11代代表取締役社長に就任。2024年10月14日両国国技館大会の試合後に、2026年1月4日での現役引退を発表。

棚橋弘至(たなはしひろし)

1976年11月13日 岐阜県大垣市生まれ。新日本プロレスリング株式会社第11代代表取締役社長キャッチコピーは“100年に一人の逸材”“エース”。立命館大学法学部在学時にレスリングを始め、卒業後の1999年に新日本プロレスへ入門、同年10月に真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。2003年に初代U―30無差別級王者となり、自身としての初のタイトル戴冠。2006年には、当時の団体最高峰王座となるIWGPヘビー級王座を初戴冠。以降、同王座を8度戴冠し、これは歴代最多戴冠記録となっており、2011年~2012年の第56代王者時代には、当時の連続最多防衛記録となるV11を達成。また、真夏の最強戦士決定戦『G1 CLIMAX』は3度の優勝、東スポプロレス大賞MVPは4度受賞しており、新日本プロレスの“エース”として活躍を続ける。2023年12月には、新日本プロレスリング株式会社の第11代代表取締役社長に就任。2024年10月14日両国国技館大会の試合後に、2026年1月4日での現役引退を発表。

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Source: uenon.jp

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